1: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:04:20 ID:HXU
    no title

    no title

    劉備玄徳
    言わずと知れた蜀漢国の初代皇帝(昭烈帝)
    彼がいなければ三国志は無かった。
    数ある英雄・実力者が戦乱に散っていく中、したたかにしぶとく生き残り最後には皇帝にまでなった男。
    言わば敗戦のプロ。誰にも捕まえられない男。逃げても魅力を失わない、天運に愛された男。
    むしろ売りから皇帝にまでなったのだから偉業と言うほか無い。
    三国志演義では文弱の聖人君子にされているが、実はバリバリの前線指揮官。しかもかなり有能。
    よく比較される劉邦とは違い、本人もかなり優秀で、夏侯惇ぐらいなら余裕で勝利。
    さすがに曹操には勝てないが、正面からでは無理だと踏むと、タカ派の曹操に反感を抱く保守派を集めて勢力を築くという秀才でもある。
    人物眼も確かで、草莽の中から関羽、張飛、趙雲、諸葛亮を見出し、そして馬謖が役に立たないのを見抜いていた。
    自身の戦術的才能もさることながら、自分より秀でたものを認め、それに任せる度量をもち、尚且つ無能者も拒まないという懐の広さ。
    曹操とは違ったタイプの君主としての才能を持っていたといえる。
    利無ければ富も名誉もあっさりと捨てること、部下に多くを求めないこと、これが劉備の最大の魅力であり特徴だと思う。


    引用元: http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1418094260/

    6: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:24:16 ID:oPU
    もしかして>>1はお兄さん?!


    7: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:28:19 ID:uBJ
    ほとんど架空の話らしけど
    まぁディズニーランドみたいなもんなのかな


    9: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:30:53 ID:HXU
    >>6
    バレたかw

    >>7
    そうだね、あらすじや勝ち負けは史実だから変えられないけど、原因とか活躍した人とかが結構変えられてる。
    創作の割合としては太閤記とどっこいどっこいじゃないかなw


    2: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:11:42 ID:uBJ
    漫画とか小説とかで
    ※劉禅は今も飾られていない
    とか書いてあるけどホントですか!?


    4: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:20:26 ID:HXU
    >>2
    ないよ~。でも代わりに洛帯という成都の郊外の街に、劉禅が溺れた池というのが残ってるw


    3: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:19:28 ID:HXU
    no title

    no title

    諸葛亮孔明
    蜀漢国の丞相(首相みたいなもの)
    彼がいなくても三国時代は無かった。
    有能な行政官にして司法官。
    兵法にも詳しかった。
    劉備に配下になることを嘱望され、三度も劉備自らが彼の家に訪れた「三顧の礼」はあまりにも有名。
    人を得て地を得なかった劉備に今後の現実的な展望を語り、蜀の地に攻め入ることを進言した。
    蜀漢国成立後は国を良く治め、劉備の死後は彼の志を継ぎ何度も北伐を行い魏と戦った。
    彼の業績の中で特筆すべきはやはり行政である。
    蜀の地の開拓と開梱を行い、富国強兵に務め、司法を整備し規律のある国家を築き上げた。
    蜀の1州で魏の12州と渡り合うだけの国力と士気を保ったのは半端なことではない。
    逆に用兵に関しては理屈倒れのところがあるのは否めない。
    三国志演義のイメージに反して、実際の諸葛亮は策謀を嫌い、堅実な兵法を好んだ。
    その戦い方は場当たり的に正面に出てきた敵と正面から戦うのみであり、速度も遅く負けないようにという方針が目立った。
    確かにそれは兵の層の薄い蜀にとっては絶対条件だったかもしれない(蜀はこの軍が大敗したら国防出来ないが、魏には一軍が敗れてもまだ兵がいる)
    しかし、漢王朝を取り戻すために中央に奇襲をかけず、支配面を広げるだけの辺境へ出兵には、戦略的な正しさはあっても政略的な意図は感じられず、出師の表にあるような中央を恢復する正義を実行する気が本当にあったのか甚だ疑問である。
    少なからず中央にいた魏朝に不満を持つ人間は彼の行動に失望しただろう。
    更に、馬謖へ敗戦の責任の押し付けたことや、李厳への理不尽な更迭を見ても、本当の公平さというものを実行できていないという誹りは免れ得ないと思う。
    しかしながら、私心なく劉備の意思を継いで実行したという点では忠臣ではあると思うし、小説ほどの軍師ではなかったにせよ、行政官、司法官としてはまれに見る優秀な人材であった。
    蜀の独立に足る国力は全て彼れ一人の頭脳から生まれたのだから。


    8: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:29:32 ID:HXU
    no title

    no title

    張飛翼徳(益徳)
    ど迫力、怪力無双の暴れん坊にして劉備の義弟。
    やることなすこと全てダイナミック。
    酒を飲んでは派手に暴れ派手に失敗し、そして劉備に派手に謝る。
    その勢いは大喝すれば敵兵がビックリして落馬するほど。
    組織戦や特殊任務は不得手だが、その怪力と迫力を生かした突進力で敵をなぎ倒す。
    性格的には上にへつらい下に厳しく、更に酒乱ときているので上司としては最悪。
    とにかくやることなす事全て豪快。夏侯惇の親戚の幼女を誘拐レイプしてそのまま嫁にしてしまうという世紀末ぶり。
    (そしてその嫁との間に生まれた娘が劉禅に嫁ぐというカオスっぷり)
    長い間劉備陣営のトラブルメイカーとして活躍(?)していたが、蜀攻略戦で突然知将に変化。
    厳顔を飴と鞭で籠絡し、漢中戦では張?をおびき出して叩くという活躍ぶり。
    どうした張飛、お前のキャラはそうじゃないだろと心配していたさなか、関羽の復讐戦を劉備に懇願してその出征前に酔って暴れて部下に寝首を掻かれるというオチもちゃんと付けてくれる。
    良かった、最後までキャラはぶれてなかった。安心安心。


    11: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:35:12 ID:oPU
    やっぱりだー!大哥!大哥!(≧∇≦)ノ
    こういう武将像が祀られてる施設って結構多いの?


    12: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:44:59 ID:HXU
    no title

    趙雲子龍
    三国志界の必殺仕事人。
    地味で自己主張が薄く、目立ったことはあまりやらないが、与えられた仕事は確実にこなす。
    特殊な任務遂行に長けていて、諸葛亮が劉備陣営に加わってからは彼の複雑な作戦を履行できる数少ない人材として重用された。
    特に退却戦をやらせたら三国一と言っても過言ではないと思う。
    勝ち戦での彼は優秀な将軍の粋を出なかったが、敗戦処理をさせると替えのきかない超一流の将軍になる。
    追うほうが損をするような状況を、その場その場で組み立てるのであるからこれほど冷静で粘り強い将軍はそうはいないと思う。
    武芸にも秀でており単騎で数万の曹操軍の中から阿斗(後の劉禅。劉備の子)を救い出した時は八面六臂の大活躍。
    劉備をして子龍全身是胆(ユーアーオールホルモン)と言わしめた人材。
    実は蜀最強との噂も。
    実力の割に自己主張が少なく、その上他人の尻拭いのような敗戦処理を淡々と見事にこなすというその縁の下の力持ち具合が日本人に大人気。
    ちなみに、ここ武侯祠では各武将は諸葛亮視点となっているので、趙雲は老将である。


    13: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:46:19 ID:oPU
    兄貴のスレを見てると中華料理食べたくなってくる。。


    18: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:49:34 ID:HXU
    no title

    黄忠漢升
    熱血プッツンおじいちゃん。
    いつも周りに年寄りとバカにされて「まだ老いぼれちゃいない」と発奮して戦う。
    しかしそれは皆が黄忠を良いように使う為の方便だ!
    騙されちゃだめだおじいちゃん!
    突撃なんかしちゃだめだ、得意の弓で戦うんだ!
    定軍山で夏侯淵の首取ったのはそりゃあすごいけど、あ、ほら、言わんこっちゃない。
    夷陵にて老衰。いや戦死。
    ていうか皆おじいちゃんをいいように扱いすぎ、特に諸葛亮、お前はダメだ。
    KEIROU精神をもっと持とうYO!


    20: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:53:28 ID:Ehe
    黄忠適当すぎひでぇw

    晩年の張飛は何だろうなアレ
    学習したってより入れ知恵なんじゃなかろーか


    21: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)12:58:02 ID:HXU
    no title

    ?統士元
    三国志界でも名うての不細工。
    実は諸葛亮と比肩するほどの頭脳の持ち主なのだが、持ち前の顔のせいで誰からも相手にされず・・・
    劉備ですら彼を最初は見誤った。そんなに頭悪そうな顔していたのか。
    そんな彼を別陣営から気にかけてた魯粛はさすがである。三国一の良心である。
    とても他人とは思えない?統だが政治に長ける諸葛亮とは反対に軍事に長ける。
    入蜀戦でも劉備は諸葛亮ではなく彼を連れて行っている。
    その用兵は、迅速であり尚且つ着実である。
    発想の優先順位は戦略>政略>戦術であるが、政治的配慮を劉備が行う余地を与えた選択肢を常に用意しているという優秀っぷり。
    張魯などの周辺状況をフルに優位になるように利用した戦略を立て、劉璋をソッコーでフルボッコ。
    しかし最後まで幸薄い彼は入蜀を前にして劉備の厄を引き受け死んでしまう。
    ああ、?統が生きていたら全然違う結果になったであろうに・・・惜しい人をなくしたものだ。


    23: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:03:20 ID:Ehe
    諸葛亮もホウ統、同じところで勉強してたんとちゃうん?
    ホウ統は何で戦略戦術を諸葛亮に教えてやらんかったんか疑問だなぁ


    25: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:05:45 ID:HXU
    >>23
    そうそう、小説では徐庶も水鏡先生のところで同門って事になってるね。
    諸葛亮も知識では戦略戦術を知ってたと思うよ。
    ただ実践できる才能が微妙だっただけじゃないかな。
    教えられて誰でも実践できるのなら、高等教育受けた歴代の皇帝とかは皆用兵達者になるよね。
    同じ頭脳明晰でも、諸葛亮は行政官向き、?統は軍事向きだったんでしょう。


    24: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:04:29 ID:IFD
    なんか髭が画一的なんだが後の時代の人が後付けしたん?


    27: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:06:34 ID:HXU
    >>24
    武侯祠自体は唐の時代からできはじめらしいけど、時代時代に回収と拡張工事を受けてるから、今あるのは清朝の物がベースだと思う。


    32: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:27:01 ID:HXU
    no title

    馬超孟起
    馬延の子孫と称する荒武者。
    涼州で反乱と帰順というマッチポンプを繰り返していた馬騰の息子。
    父親は弱った中央政府に独立をちらつかせて栄達した食えない奴だったが、その息子の馬超は本気で独立できると思ってしまったらしい。
    更に曹操が漢中を狙って兵を動かしたのを、やましいところがある馬超は自分を討ちに来たと勘違い。
    父と弟が中央にいるのに韓遂を誘って突如反乱!(当然父と弟は処刑される)
    周辺の異民族には慕われていたため反乱に呼応する者も多く、一時は曹操を追い詰めるまでに至った。
    しかし頭が足りない馬超は韓遂との仲を離間され、反乱はあえなく衰亡。
    のこのこと兵をまとめて引き返してその後は潜伏。
    それでも懲りない馬超は数年後に再起してまたまた反乱。
    しかし楊阜らのガチの抵抗にあって、これはほとんど上手く行かずに張魯の元へ亡命。
    その後、劉備の元へ流れ着き、最後は成都の劉璋をビビらせて終わり。
    その後はフェードアウトで死亡。
    一体馬超とは何だったのか?


    35: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:31:58 ID:IFD
    趙括とかいって超負けた奴も昔いたしね


    37: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:37:52 ID:HXU
    >>35
    そういう言葉遊びを聞くと、

    彼女がオレのボウガチョウをころころと弄ぶと、オレのバチョウした
    テツリキツがむくむくと大きくなる。ゴツトツコツ!といわんばかりに屹立した
    オレのカコウボウはまさしくテイホウと呼ぶに相応しい。
    彼女の舌がチョウギョクにゲンハクコと絡みつく。
    そろそろか。オレは立ち上がると彼女のジュンユウなマンチョウに
    チントウをソウショクする。
    ガクシン、ギエン、ガクシン、ギエンとリズミカルに腰をふる。
    彼女のホシツしたジュンウケイがカコウオンを奏で始める。
    「シャ、シャマカになっちゃう!
     アカイナン!アカイナン!テイイク、テイイク、コウソンサァーーーンッッッ!!」
    彼女はひときわ大きな声をあげる。そしてオレのチンブからは
    トウトヌとエキトクが迸り、ぐにゃりとロシュクする。

    このコピペを思い出す。


    36: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:34:50 ID:HXU
    no title

    姜維伯約
    蜀漢国後期の有力武将。
    諸葛亮の二番弟子。劉備との直接面識はなし。
    最初は魏の若き駿将として現われ、武で趙雲、智で諸葛亮の舌を巻く、そして諸葛亮に弟子入りを懇願される・・・というのは演義のお話。
    実際は蜀軍の侵攻に太守が逃げてしまった城の友好の使者として蜀軍へ来ていたところで、蜀軍が撤退してしまったのでそのまま蜀へ一緒に行くハメになっちゃったちょっとかわいそうな子。
    その後才能を認められ諸葛亮の弟子となる。
    諸葛亮存命中はその手足となって働き、その死後は??の元で軍事に従事する。
    ??、費?の亡き後は、軍事を一手に握り諸葛亮の意志を継ぐため北伐を続ける。
    後期のホープだったが、度重なる遠征で結果的には国力を疲弊させてしまう。
    劉備・諸葛亮の遺志を継ぎ最後まで魏と戦い抜くが衆寡敵せず剣閣関で涙しながら剣を折る。
    蜀滅亡後もクーデターを起こすなど蜀復興に努めたが敗死。
    判官びいきで日本でも人気がある。


    38: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)13:48:58 ID:HXU
    no title

    左:馮習
    蜀侵攻ぐらいから名前が見え始める武将。
    その後の夷陵の戦いでは緒戦で活躍。
    しかし陸遜にフルボッコにされて戦死。
    なぜか彼が呉軍を侮っていたせいで蜀軍は負けたとかスケープゴートにされるかわいそうな人。
    先生、夷陵の敗因は普通に劉備が呉軍を侮っていたせいだと思います!

    右:張南
    馮習と同時期に名前が出てきて同じ夷陵の戦いで死ぬのでよくセットにされる。
    キャラを立てる前に死んでしまったかわいそうな人。


    40: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)14:18:22 ID:HXU
    no title

    左:張嶷
    万能無敵超人。もっと早く生まれていれば張遼クラスの名声を得ていたかもしれない人。
    世にでるきっかけは、自分の住む県城が山賊に襲われた時。
    県令が家族や市民を置き去りにして逃亡した後、なんと張嶷は単身県令の妻子を守りながら白刃をふるって県城を脱出。
    その噂を聞きつけた劉備に召しだされる。
    最初はその出自からか山賊討伐などを命じられていたが、ゲリラ戦術を行う山賊を一網打尽にするため、偽りの和睦の宴会を開き、賊が集まったところをMINAGOROSHI!
    騙したな!と罵る山賊に「外道お前らにそもそも道を説く資格などない」とあっさりRONPA!
    その後は馬忠の副将として活躍し、羌族など異民族相手に連戦連勝。
    その功績が認められて、異民族に占領されて南蛮天国になってしまった越?郡の太守に任じられて、これを実力奪取、周辺もあっさり平定。
    しかしここでは飴と鞭を使い分けて異民族を上手に手懐け、蜀の国力増大に多大な貢献をした。
    張嶷が後方を慰撫し続けていたので諸葛亮も姜維も北伐が続けられたのである。
    晩年は歩行困難になったが、それでも姜維の北伐に従った。
    知略で城を落としたりと相変わらずの活躍だったが、蜀が不利になると、倍以上の兵数を持つ敵将除質の部隊を道連れに戦死した。
    蜀を支える屋台骨であったが、生まれる時代が違っていれば、中央でもっと大活躍したかもしれない人材である。

    右:馬忠
    上記の張嶷の元上司。
    張嶷ほどの才能の煌きは感じさせないが、篤実な行政と確実な軍事行動で蜀の安定を支えた。
    才能あるものを自由に活躍させる度量も持っていて、彼の下で育った将帥も多い。
    蜀には数少ない教導型の将軍と言え、人材の育成と治安の維持に従事した。


    41: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)14:27:16 ID:HXU
    no title

    王平
    王平だけど~横柄じゃない♪
    文盲の軍人。
    最初は張魯のおまけで曹操に基準した異民族の付き人として曹操の下へ行く。
    そこでなぜか気に入られ位を与えられていたが、劉備の漢中攻略戦の際に劉備陣営に降りその後は蜀軍の将軍となった。
    諸葛亮支配下の教養重視主義の幕僚の中で、文盲であることを理由に軽視されていたが、街亭の戦いで活躍し名を挙げる。
    その内容は、兵法に通じた諸葛亮一番弟子の馬謖の戦術を、無学な王平が実戦経験から諫め、その結果は馬謖は王平の指摘通りに失敗し、そして馬謖は唯一崩れず踏みとどまった王平に助けられ撤退したというものだった。
    これによって王平は実戦は机の上でなくて現場で行われている事を証明した。
    その後も特に防衛戦に実力を発揮し、蜀の国土を死ぬまで守りぬいた。


    44: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)14:41:44 ID:HXU
    no title

    画像貼り間違えた!
    これが王平です。
    >>41のは傅僉だった。


    45: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)14:44:28 ID:HXU
    傅僉
    画像は>>41
    蜀の滅亡時に降伏せずに蜀に殉じて戦死したため、忠義の士と讃えられた。
    そのせいか、演義では創作で活躍の場が増やされている。


    42: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)14:33:15 ID:HXU
    no title

    向寵
    なんかキャラが立つほど目立った活躍はしてないけど、地味に名前が出てくる人。
    夷陵の戦いの退却で功があったらしい。
    あと、なんといっても出師の表で「善良、公平、軍事に精通!」と褒められているので有名。


    43: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)14:39:20 ID:HXU
    no title

    廖化
    ミスター蜀軍。
    蜀漢国の興亡をその目で見届けた人。
    劉備の荊州時代辺りから名前がちらほら見え始め、関羽指揮下で下積み時代を送る。
    その後も地味に活躍をし続け、蜀の人材が枯渇するとともに一級線に出てくるようになる。
    一軍の将になった後も地味に勝ち続け、安定した活躍を続けた。
    晩年は姜維の国力を無視した北伐を非難したりと武闘派とは違う路線に。
    蜀の降伏後、それを見届けるかのように病死した。


    46: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)14:51:52 ID:HXU
    no title

    張翼
    漢の功臣張良の子孫というバリバリの名家出身。
    しかし、先祖の張良とは違ってバリバリの武闘派!
    趙雲の指揮下で対曹操軍相手に活躍し、その功で各地の太守を歴任。
    しかし法に厳しすぎて、法をいまいち理解できない異民族の反感を買い、統治に失敗。
    更迭されたが、後任の馬忠がやりやすいようにと軍備はちゃんと整えて置いてあげるナイスガイ!
    その後は北伐に従い前線で活躍し続け、戦術規模での勝利をし続ける。
    が、後年は姜維の北伐に批判的で、その指揮下に従いなからも北伐を諌め続けた。
    最期は蜀の降伏時の姜維と鐘会の反乱に巻き込まれて殺されるというかわいそうなものだった。


    47: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)14:56:54 ID:HXU
    no title

    孫乾
    パシリの達人。
    パシリもここまでくれば大したものである。
    劉備のパシリとして、中国全土を右往左往!
    相手が袁紹だろうが劉表だろうがちゃんとお使いを済ませて劉備の居場所を確保して帰ってくる。
    劉備が生き残った原因の一翼を担った存在である。
    戦国時代に生まれていたら弁士として活躍しただろうに。もったいない。
    ?食其なんか目じゃないぜ。


    48: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:00:10 ID:HXU
    no title

    張苞
    張飛の長男・・・らしい。
    名前だけが出てくるだけで、しかも父より先に死んだという記述のみ。
    演義ではなんかすごい活躍させられているが、本当は病弱な人だったんだろう。


    49: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:03:31 ID:HXU
    no title

    張遵
    張苞の子。
    叔母が劉禅に嫁いでいることから外戚として勢力を持っていたらしい。
    蜀滅亡時に戦死。


    50: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:09:02 ID:HXU
    no title

    劉諶
    劉禅の五男。
    張皇后との子供なら張飛の孫でもある。
    蜀滅亡時に降伏しようとする父に反対。
    国に殉じる意志を妻に伝えると妻は自害、その妻の首を持参して劉備の廟で自分の首を刎ねて自害した。
    その行動を美談として受け取った後世の人から蜀漢国最後の輝きの様に語られている(像も金ぴかだし)
    しかし、その熱意と行動力をもっと実践的な行動に移せなかったのかと俺は思う。
    追い詰められた結果が自害とは、いかにも貴族的で、劉備が聞いたら嘆くと思う。
    劉備なら全てを捨てて身一つで脱出し、屈せず機会を待ったと思う。


    51: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:11:46 ID:HXU
    ここらへんになってくると像も適当になってくるw
    左:関興
    関羽の子。
    父の死後、その後を継ぎ、諸葛亮に期待されたが数年で死んだ。

    右:周倉
    架空の人物。関羽のそばにいたいという漢民族の願いが作り上げた妄想の産物。


    52: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:12:27 ID:HXU
    no title

    画像がまだアップ出来てなかったwww
    >>51の画像はこれです。


    53: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:17:23 ID:HXU
    no title

    左:関平
    関羽の子。そう、史実では実子である。そして、関羽と一緒に斬られたとのみ記述がある。
    演義であれだけの活躍の場が与えられたのは、それだけ関羽が漢民族に愛されているということであろう。
    それにしても、あの逃亡生活の中で、いつ戦場に出られるような子供を作る時間があったのだろう?
    逆算すると徐州時代か曹操配下時代か?

    右:趙累
    荊州時代の関羽に付けられていた都督。
    でも関羽はすげーワンマンだからあんまり活躍の機会なし。
    ついに歴史に一言も名言を残すこともなく名を消した。


    54: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:17:36 ID:Vrt
    オウヘイって張コウだったか徐晃だったかの元部下だったのは演義?正史?


    55: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:24:38 ID:HXU
    >>54
    特に誰かの子飼いの部下だったって記述は正史にはないよ。
    単純に定軍山の戦い辺りで曹操から小部隊を任されただけ。
    その時々でどの指揮下に入ってたかわからないぐらいの部隊ってことでしょ。


    57: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)15:58:10 ID:HXU
    no title

    簡雍
    劉備の旗揚げ時代からの配下で生粋のゴロツキ。
    劉備に寄生してブラブラしていたが、一宿一飯の恩義なのか、どんな苦難にも劉備を見捨てずついてくる。
    しかし、あまり役にはたたない。軍も率いることが出来ないし、策謀を巡らすわけでもない。
    そんな彼は普段は劉備の話し相手をしたり、色んな所を出入りしていたりと、まさに無為徒食。
    酒の席でもだらしなく、劉備や諸葛亮がいるのに寝そべって飲んだりとやりたい放題。
    しかし、ヤクザが年取って人格者になるのと同じように、彼の無能具合も歳とともに凄みを増してくる。
    交戦中の劉璋の城にぶらりと一人で現れて、居候になったり(軍を率いた実績や計略に関わった経歴がないから警戒されず無害だと思われたのだろう)
    それで劉璋と仲良くなって劉璋を降伏に導いてしまう辺り、尋常な胆力と知力ではない。
    というか、胆力と知力ではこれはなせる技ではないと思う。
    思うに、彼は儒教や兵法的な胆力知力とは無縁の、老荘の徒だったのではないか?
    無為を以って最後に有為をなした彼、そして無能だろうがなんだろうがついてくるものは抱え込む懐の深い劉備。
    まさにこの君主をしてこの臣下ありといえる。
    後は禁酒令をトンチで批判した話も有名だ。
    水不足で禁酒令が出た時、酒造の道具を持っていた者が罰せられそうになった。
    それを聞いた簡雍は街をゆく男女を指さし、
    「あいつらは姦淫罪を犯そうとしてるのに何で罰せられないんだ?」
    と劉備に聞いた。
    びっくりした劉備が
    「何でそんなこと分かるの?」
    と聞くと、簡雍は
    「だって姦淫罪を犯す道具を持ってんじゃん」
    と揶揄した。
    最高の皮肉だ。これで酒造の道具を持ってた人間は不問になった。
    彼の飄々した人柄を表すエピソードだ。


    58: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:25:41 ID:HXU
    no title

    呂凱
    なんとあの呂不韋の後裔らしい。
    しかしその人柄は篤実そのもの。
    南蛮を徳化し人々にその誠実さを愛された。
    南蛮がひとまず平安を保っていられたのは彼のおかげだろう。
    しかしそんな彼も後に反乱で命を落とすことになるのだが・・・
    平和な時代に生まれれば良い太守になっただろうに。


    59: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:32:08 ID:HXU
    no title

    ??
    諸葛亮の後継者。
    県令として適当な仕事をしてたが、ある日仕事もせずに酒のんで暮らしているのが劉備に見つかり罰せられそうになる。
    そこを諸葛亮に、彼は県令の器なんかに収まる人材じゃないとフォローされて事なきを得てから諸葛亮の忠実な幕僚に。
    彼の行政と軍人行動を支えるために日々数字と戦う毎日。
    諸葛亮の仕事量に比例する数の業務をこなしていたのだから鉄人という他ない。
    計算の鬼だ。
    彼の後方支援のお陰で蜀軍は徴税も兵站も滞り無く行われていたと言って良い。
    そんな彼を諸葛亮は死に挑んで後継者に指名した。自分の仕事量を引き継げるのは彼しかいないと見込んだのであろう。
    後を引き継いだ??は、常に諸葛亮と比較されて陰口を叩かれれても、諸葛亮に及ばないのは当然と聞き流して泰然と業務を続けたという。
    まさに宰相の器であったと言える。
    軍事には積極的に関わらなかったが、胆力は持ち合わせていて、理解もあった。
    諸葛亮の影に隠れがちだが、蜀を支えた大きな異才と言える。


    60: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:36:20 ID:HXU
    no title

    傅?
    傅僉の父。いきなり夷陵の戦いの退却時に名前が出てきて、呉軍に降伏勧告を受ける。
    そこで漢の将軍は呉の犬畜生には降伏出来ないと拒否して戦死した。
    ある意味、この一言で歴史に名の残した人物である。


    61: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:42:34 ID:HXU
    no title

    董和
    行政のプロ。劉璋、劉備と使える。
    どこの太守になっても、法を順守し倹約に務め、民の暮らしが楽になるように努めた。
    民に愛され、異動を取りやめる署名が行われるほどだった。
    融通もきいて、ある罪に連座しそうになった李恢を合法的に助かるようにしむけた事もあった。
    諸葛亮に敬愛され、彼は董和に行政を学んだ節が多い。
    彼の目は君主ではなくて常に民に向けられていたと言って良いと思う。
    使える君主が変わっても、彼の下の民は幸せだったのだから。


    62: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:48:18 ID:HXU
    no title

    陳震
    蜀の外交官。
    蜀と呉の間を度々往復した。
    若年の頃は従軍もしていたようである。
    誠実さを見込まれ使者に選ばれてたり太守を歴任したりと諸葛亮には気に入られていたようである。


    63: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:52:51 ID:HXU
    no title

    秦?
    高名な学者であり、人材派遣業も営む。
    自身を招聘しに来た君主に何故か自分以外の人を紹介・斡旋する事を繰り返した。
    劉備が入蜀してからは思うところがあったのか出仕してきた。
    その後は劉備の関羽敵討を諌めたりしたりなんだり。


    64: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:55:10 ID:HXU
    no title

    楊洪
    超地味キャラ。
    覚えている人なんか居るのか?
    俺も思わず調べてしまった。
    ウィキ以上の事がかけないので
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E6%B4%AA
    参照のこと・・・


    65: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:58:01 ID:HXU
    no title

    程畿
    ごめん、この人もマジで覚えてない・・・
    一応正史は読んだはずなんだけど・・・
    というわけでウィキ先生頼んます!
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%8B%E7%BF


    66: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)16:58:41 ID:HXU
    というわけで武侯祠の像は以上だぜ!
    最期はウィキ頼りで情けなかったな!


    67: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)17:32:18 ID:HXU
    no title

    おまけ。
    魏延
    魏延は諸葛亮の遺命に逆らったという性質上、成都の武侯祠には像がない。
    ただし、五丈原の武侯祠には彼の像があるので画像をUPする。

    魏延、彼を理解できていたのは劉備だけだったのかもしれない。
    劉備に投降した魏延はまさに水を得た魚で、破竹のような勢いで活躍をし続けた。
    その結果、張飛より能力は上と判断され、大事な漢中を劉備に任された。
    しかし、劉備の後を継いで統帥権を得た諸葛亮と、感覚的に戦場を往来する彼はまさに水と油だった。
    諸葛亮が右だと思えば魏延は左と、彼らの意見が交わることは決してなかった。
    そして、魏延にしたら自分の方が戦は玄人だという自負があったのだろう、諸葛亮の出した戦術案にはことごとく異を唱えた。
    後世から客観的に見ても、諸葛亮より魏延の方が戦術的価値がある作戦を立案している。
    というか、あろうことか戦略、政略的に見ても魏延の方が意義がある戦いを立案しているのだ。
    例えば、最初の北伐で蜀の領土を辺境に広げることのみにこだわった諸葛亮と対照的に、魏延は長安を急襲して天下に義を示そうとした。
    これがまさに北伐の元々の意義であり、そしてそれに呼応する者こそ天下の援軍であったはずだった。
    結局諸葛亮は辺境を冒して終わり、呼応したのは異民族ばかりだった。しかもそれも魏軍の襲来にあっけなく奪い返された。
    一体何のための北伐だったのか?
    結果論になるが、慎重に帰した諸葛亮の戦略では、ついぞ魏の土地は奪えなかった。
    そして蜀は諸葛亮の死後30年で滅びるのである。
    それなら魏延の様に、危ないかけでも天下に魏を示す戦いをするべきではなかったのか?
    というか、そもそもそのための入蜀であり、皇帝を践祚した大義名分出会ったのではなかったか?
    諸葛亮は蜀を肥え太らせるという政略から最期まで脱さなかった。
    天下を見て兵を動かそうとしていたのは魏延一人だったといえる。
    しかも、その実力は十分にあったと思う。
    当時、魏で生き残っていた歴戦の勇士で最強と目されていた張?の軍も彼は軽々と打ち破ったし、やれるところまでやってみてほしかった。
    結局、諸葛亮の保守的で本末転倒な政略にもみ潰されて、彼が引き継いだ劉備の正義は永遠に果たされる機会を失った。


    69: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)17:37:17 ID:IFD

    関羽さんは関帝廟で別枠?


    70: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)17:42:09 ID:HXU
    >>69
    関帝廟???
    中国全土の関帝廟やってたらそれだけで1000レス行きそうwww

    あれ?そういえば何で関羽ないんだろう?
    画像見逃してたかな???


    72: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)17:57:26 ID:HXU
    no title

    no title

    全国の関羽ファンの皆様大変申し訳ありませんでした。
    関羽を見逃していて、しかも>>69大人に指摘されるまで気が付きませんでした。
    すいません。

    というわけで、
    関羽雲長
    ヒゲがやたら長い劉備の義弟。
    そして顔が常に赤黒い。多分傍から見たらかなり怪しい人。
    赤い物体からやたら長い毛が生えていたら、銅鑼をジャーンジャーンジャーンと鳴らして、声を合わせて
    「げぇ、関羽!」
    と叫ぼう。
    閑話休題。
    彼は義の人である。
    曹操に下った時も忠犬ハチ公よろしく劉備への義を貫いた。
    そして独尊の人でもあった。
    プライドがビンビンに高く、劉備以外に傅くのを良しとしない人。
    武勇と用兵もかなりのもので、魏の名だたる武将を何度も退けている。
    曹操が惚れ込むのも無理は無い。
    少なくとも張遼と同程度には評価されていると見て間違いない。
    その見込は正しく、荊州では大活躍。
    ようやくまともな兵力と武装を手に入れた関羽にもはや敵なし状態だった。
    関羽が居る限り、魏は荊州を取り戻せなかっただろう。
    趣味としては、春秋左氏伝が大好きで片時も手放さない。でもその割には政治や外交がど下手・・・
    彼は春秋左氏伝から一体何を学んだんだろうか?
    少なとも行政や外交は学んでなさそうだ。
    最後はそのプライドと外交力の無さが仇となって呉の計略にはまりあえない最期を遂げる。
    曹操軍はあくまでベースが王道で、味付け程度に計略があった。
    だから関羽と魏軍が戦う時は、両将のプライドのぶつかり合いであり、ある程度のスポーツマンシップ的な息の掛け合いがあった。
    しかし呉軍は計略ありきで、計略が決まって相手が弱ってから攻めてくる。
    プライドが高く、内に敵と味方がはっきり分かれている関羽には呉は天敵だったといえる。
    死後は、その義理堅さから、信用第一の商売人に信奉され神となった。
    知名度としては君主の劉備や、上司の諸葛亮を超えてしまっている。


    75: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)20:25:21 ID:wdw
    いやー、面白かった!
    魏延をそういうふうに見たことなかったから、とても興味深かったよ!

    他にも知らないエピがあって、おれにとって良スレだった

    乙!


    81: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)22:20:18 ID:HXU
    no title

    費?
    諸葛亮、??亡き後の蜀を支えた賢臣。
    蜀前期の能吏、董和の息子董允と幼い頃から交友があり、董和にその才能を認められていた。
    というか、董和は息子より費?の方が才能が上だと思っていた(何故か息子が粗末な車に嫌な顔をしただけで判断)。
    事実、費?と董允が長じて官吏になった後、政務を終えて尚遊び歩く余裕がある費?の真似を董允が真似をしようとしたら全く政務が追いつかなくなったという。
    (董允の像がないのでここでフォローしておくと、彼も後期の蜀を支えた偉大な能臣です。わずかに費?に及ばなかっただけ)
    劉備が蜀に入ると董允とともに召しだされ、劉禅の補佐役に抜擢される。
    そこでメキメキ当確を当確を表した費?は、諸葛亮に目をつけられ、北伐では??と共に徴税や兵糧を計算する数字を処理するお仕事へ・・・
    しかしそれを難なくこなした費?は、余暇で遊んだり、諸将の仲を取り持ったりと伸び伸びと仕事をしていた。
    特に会話不能の楊儀と魏延の間に入って何とかコミュニケーションを取らせていた功績は大きい。
    石田三成に爪の垢を飲ませてやりたい。
    要するに、費?は行政処理能力に長けていただけでなく、人柄も丸くリア充で愛されキャラだった。
    なんていいやつなんだ。
    おまけに降伏してきた敵将にも分け隔てなく接してやり、有能なら用いてあげた。
    その人の良さを張嶷に心配されて、降将を近づけ過ぎると偽りの投稿をしてきた暗殺者を防げないと心配されたりしていたほど。
    何にせよ、諸葛亮が生きていてる時代は彼は幸福だったろう。
    認めてくれる上司と同僚に囲まれて、素晴らしい成果を上げていた。
    そんな彼に苦労が振りかかるのは諸葛亮が死んでからである。
    後継者になった??を全力でサポートするつもりであったが、諸葛亮というタガが外れた魏延が暴走したのだ。
    今まで魏延と諸将(特に楊儀)との仲を取り持っていた費?としては悲しかったろう。
    でも彼はきちんと諸葛亮の遺命を成し遂げ魏延を処理した。
    ついでにタガが外れた楊儀もさすがに有害とみて上告せざるを得なかった。
    人の良い費?には辛かっただろうと思う。
    その後、??が生きている間は彼を全力で支え、??の死後は一身で蜀の行政を支えた。
    その内容に大過はなく、諸葛亮のやり方を完璧に引き継げていたといえる。
    彼が生きているうちは宦官の跋扈などもなく蜀は非常に安定した。
    そして、彼がどうして死んだかというと・・・
    張嶷の懸念の通り、偽りの投稿をしてきた暗殺者に殺されてしまうのであった。
    不謹慎だが、最後の言葉はやはり「ひいっ!」だったのだろうか?


    82: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)22:25:26 ID:HXU
    誤字がひどい、やり直し・・・次からはちゃんと推敲してから投稿しよう。

    費?
    諸葛亮、??亡き後の蜀を支えた賢臣。
    蜀前期の能吏、董和の息子董允と幼い頃から交友があり、董和にその才能を認められていた。
    というか、董和は息子より費?の方が才能が上だと思っていた(何故か息子が粗末な車に嫌な顔をしただけで判断)。
    事実、費?と董允が長じて官吏になった後、政務を終えて尚遊び歩く余裕がある費?を董允が真似をしようとしたら全く政務が追いつかなくなったという。
    (董允の像がないのでここでフォローしておくと、彼も後期の蜀を支えた偉大な能臣です。わずかに費?に及ばなかっただけ)
    劉備が蜀に入ると董允とともに召しだされ、劉禅の補佐役に抜擢される。
    そこでメキメキ頭角を当確を表した費?は、諸葛亮に目をつけられ、北伐では??と共に徴税や兵糧を計算する数字を処理するお仕事へ・・・
    しかしそれを難なくこなした費?は、余暇で遊んだり、諸将の仲を取り持ったりと伸び伸びと仕事をしていた。
    特に会話不能なほど仲が悪い楊儀と魏延の間に入って、何とかコミュニケーションを取らせていた功績は大きい。
    石田三成に爪の垢を飲ませてやりたい。
    要するに、費?は行政処理能力に長けていただけでなく、人柄も丸くリア充で愛されキャラだった。
    なんていいやつなんだ。
    おまけに降伏してきた敵将にも分け隔てなく接してやり、有能なら用いてあげた。
    その人の良さを張嶷に心配されて、降将を近づけ過ぎると偽りの投降をしてきた暗殺者を防げないと心配されたりしていたほど。
    何にせよ、諸葛亮が生きていてる時代は彼は幸福だったろう。
    認めてくれる上司と同僚に囲まれて、素晴らしい成果を上げていた。
    そんな彼に苦労が振りかかるのは諸葛亮が死んでからである。
    後継者になった??を全力でサポートするつもりであったが、諸葛亮というタガが外れた魏延が暴走したのだ。
    今まで魏延と諸将(特に楊儀)との仲を取り持っていた費?としては悲しかったろう。
    でも彼はきちんと諸葛亮の遺命を成し遂げ魏延を処理した。
    ついでにタガが外れた楊儀もさすがに有害とみて上告せざるを得なかった。
    人の良い費?には辛かっただろうと思う。
    その後、??が生きている間は彼を全力で支え、??の死後は一身で蜀の行政を支えた。
    その内容に大過はなく、諸葛亮のやり方を完璧に引き継げていたといえる。
    彼が生きているうちは宦官の跋扈などもなく蜀は非常に安定していた。
    そして、彼がどうして死んだかというと・・・
    張嶷の懸念の通り、偽りの投降をしてきた暗殺者に殺されてしまうのであった。
    不謹慎だが、最後の言葉はやはり「ひいっ!」だったのだろうか?


    83: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)22:33:08 ID:HXU
    no title

    馬良季常
    馬謖の兄で、白眉の語源となった人。
    彼には五人の兄弟がいたが、その中で彼が最も優れていた。
    そして彼の眉は白かった為、集団の中で最も優れている人のことを白眉というようになったそうである。
    (馬良兄弟は皆字に常という文字が入っていたので、馬氏の五常、つまり五人の常兄弟の中で白眉毛が一番いいね!って言われてた)
    しかし実態は何の活躍もしないままいつの間にか死んでいた名前負けな人。
    というと可哀想かな?でも周りから良いよ良いよって言われてる記述だけで、何の実績の記録もないという不思議な人。


    84: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)22:40:12 ID:HXU
    こ、これで終わりかな?ふぅ。
    まとめのコメントで、いろいろ俺の人物紹介に異論を唱えてくれている識者が一杯居てくれて嬉しい。
    俺の三国志知識なんて偏ったものだし、何より個人的な好き嫌いで曲解されてるし、学問的な公平さなんかないよ。
    ただ、ちょっと三国志に興味持ってた人に、より一層の深みにハマる入り口になればなと思って、好き嫌い前回で書いてみたw
    ちゃんとした学問的な知識がある方はどんどん俺の珍説なんか否定して正しい知識を披露してください!

    それと、リクエストがあるようなので、画像はないですが、独断と偏見による人物紹介は続けていこうかと思います。
    宜しく!


    85: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)22:58:34 ID:JLs
    はむすたから来ました*70です。
    スレ主さん乙です。

    丁度今、コーエー三国志11パワーアップキットをやってる最中なんだけど、
    こういう場所の皆の評価を参考に、キャラの能力を弄る参考にさせてもらってます。
    ココを読んで、張嶷や張翼の能力値、もっと上げなきゃイカンと思ったよ。

    とても参考になりました。


    86: 名無しさん@おーぷん 2014/12/09(火)23:29:27 ID:HXU
    >>85
    わざわざ本スレまでありがとう!

    歴史を研究するスタンスと、楽しむスタンスがあると思うんだけど、楽しむなら好き嫌いをゲームに生かしたりすると楽しいよねw
    でも何度も書いてるけど、俺の知識なんて偏ってるから、興味のきっかけになったら自分でも調べて見てね~


    87: 名無しさん@おーぷん 2014/12/10(水)00:47:59 ID:rcN
    法正とか張松とかはないの?


    88: 名無しさん@おーぷん 2014/12/10(水)01:20:58 ID:KUY
    >>87
    残念ながら居なんだよね~
    どうも武侯祠サイドのチョイスがよくわからんのよ。
    張松は諸葛亮との関わりが薄いから仕方ないにしても、法正と董允は居てもいい気がする。
    馬謖と李厳と陳式はあれな結末だからないのかもしれないけど、何であいついないの?的な突っ込みどころは結構ある。
    こっちにある程度の身分があれば、正式に武侯祠を運営している人に質問してみたいよねw


    1001:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2014/11/29(土) 23:47:03.91 ID:AtoZ
     【驚愕】まいんちゃんこと福原遥さんの胸が・・・・えらいことに・・・・(※画像あり)

     【画像】7千万円貰える代わりにこの部屋に3年間住まなければならない

     常に指示待ち、やる気がない、打たれ弱い…ゆとり世代使えなさすぎワロタ

     【画像あり】腹筋と懸垂40回を9ヶ月間続けた結果wwwwwwww

     【画像有】冷凍パスタ「レンジで6分な」→電子レンジ6分ポチッ

     ミスド「新商品出すぞ。194円だ」 → 結果wwwwwwww(画像あり)

     じいちゃんが弁当作ってくれた結果wwwwwwwwwwwwwww

     さっきラーメン屋の店主と言い合いになったんだが、これは俺が悪いのか?


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        コメント

        1.名無しAtoZ2014年12月22日 07:06  ▽このコメントに返信

        趙雲は実際劉備より年上だったから孔明視点じゃなくても「老将」で良いんじゃないかな
        魏延の方針でやってればあるいは魏に勝てたかもというのはあるよなぁ…でも蜀の国力だと初戦で勝っても途中で燃料切れ(物資不足)で失速した気がする(そして結局蜀に押し戻される)

        2.名無しAtoZ2014年12月24日 06:01  ▽このコメントに返信

        ??てだれ

        3.名無しAtoZ2016年05月21日 22:29  ▽このコメントに返信

        上から目線が痛々しいなあ

        コメントの投稿

        おすすめ!
        幸せだなぁ♪

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